僕(池っち店長)はなぜゲートルーラーを作ったか

スポーツ選手も、芸能人も、様々な仕事をしている人が、
「自分の仕事で人々を笑顔にしたい」
と言います。

自分が何かをすることで、何かを作ることで、見知らぬ誰かが笑顔になる。
それはとても幸せなことだと。

けどそれは、単なる献身や、利他主義的な博愛精神から生まれる欲求なのでしょうか?

今、この記事を読んでいらっしゃるゲートルーラーのユーザーの皆様は、ある程度の年令に達している方々だと思います。

ですから僕が、

「見知らぬ人々に喜んで頂く為に、ゲートルーラーを作りました!」

と言っても、ぶっちゃけた話、「通り一遍のセリフだな」とお思いでしょう。

僕も流石に、利他主義に基づいてカードゲームを作った、とは言いません。

仕事です。

しかし、その仕事には、「やりがいと喜びがあるに違いない」と考えて始めました。

単なる、僕の「TCGを作りたい」という自分だけの思いがあるだけでなく。

「きっと、多くの人が喜んでくれる、凄く面白いTCGが作れる!」

と考えてのスタートでした。

しかも、「仕事として、誰かに命じられてゲートルーラーを作った」訳でもありません。

企画から何から、全てゼロの所から、自分自身の考えと判断で、「新しいTCGを作って販売するぞ!」と僕自身が決めて、始めたのです。

なぜなのか。

「見たいコラムのアンケート」で4つの候補があるなか、ぶっちぎり62%の需要を頂きました、「僕はなぜゲートルーラーを作ったか」

こんなに多くの皆さんに「読みたい」と言って頂けたテーマですから、僕はこのコラムを、「利他主義」でも「利己主義」でもなくニュートラルに、飾ること無く正直に書きたい、と考えて、今、パソコンの前に居ます。

宜しくお願いいたします。

■「実績と評価」を与えて頂き、初めて挑戦できたこと。

皆様も御存知の通り、僕はとある大手メーカー様から発売していたTCGを、ルールやカードプール、その世界観も含めて、まるごと作ったことがあります。

(勿論、多くの方々のご協力を得てです。)

他社様の商品であるため、詳しく語ることはできませんが、そのTCGは、「ルールが、ゲーム性がとにかくエキサイティングで面白い!」と、日本だけでなく、世界的にも評価して頂けました。

お陰でゲートルーラーを作った時には、国内よりむしろ海外で、「あの池田が作ったゲームだ!」と、デザイナーとしてのブランドで注目して頂けました。(当時はすごく意外に感じましたが、よく考えたら海外の人は、「池っち店長」なんて知りませんもんね。)

さて、ゲームというものは、作っている最中は勿論、自分自身も「このゲームは面白い」と思って作っています。
周囲のスタッフも「面白い」とは言ってくれます。

けど、それはあまり信用できません。(笑)

自分が面白いと思っているのは、自分自身の単なる思い込みかもしれませんし、周囲の人達には身内贔屓の欲目があるかも知れないのです。

ですから、ぶっちゃけて言うとゲームデザイナーは(漫画家とかでも同様でしょうが)、世に出すまで「評価」について自信がないのです。
ましてやそれが、初めて作ったTCG。最初の一作目であれば。

自分が作ったものを世に出し、「評価」されて初めて、「ああ、ちゃんと仕事ができたな」と納得ができます。

僕の初めて作ったTCGは、出来すぎと言えるほど評価して頂けました。

「池田は嫌いだが、このTCGが面白いのは認める。」
という人も多く、感情に流されず理性的に評価して下さる方も多かったと思います。

しかもその「面白さ」は、僕が何も考えずに直感的に作った部分ではなく、今までのTCGのユーザーとの交流の中で学ばせていただいた、「知識とアイディアと理論を総動員して、計算して作った部分」にあったので、

「今まで発売された多くのTCGから学んだことは、無駄ではなかった」
との実証にもなりました。

「学者が、自らの仮説を実証する事に成功した」のと同様の成功です。

つまり、「たまたま面白かった」という偶然ではなく、ノウハウとして「皆さんと一緒に積み上げたもの」だからこそ、価値がありました。

僕はそれまで、お店でお客様とTCGについて語らい、多くを学びました。

「フューチャービー徳島」で記事を書き、多くの方に読んで頂いて評価をいただき、多くを学びました。

動画を見て頂き、皆様からの感想を頂いて、多くを学びました。

僕が「こうに違いない!」と思っていたことを、TCGを通した多くの出会いから、「いや、それは違う」ということを思い知らされ、蒙を啓かれた事も数え切れないほどありました。

TCGという出会いの場で、僕の考えは日進月歩✕100。毎日「更新」されて行きました。

TCGというホビーでは、いろんな「理論」が必要になります。
デッキレシピをコピーするだけでなく、「なぜそうなのか」を深く理解しなければなりませんし、オリジナルデッキを組むときには「こうすれば良いのではないか?」という「仮説」を立ち上げ、実戦で「検証」し、自分の間違いを自ら正していかなければなりません。

常に「自分が間違っている」ことを突きつけられ、受け入れていかなければならない。
でないと求めている結果につながらない。

にもかかわらず運の要素も絡むので、実戦での実証実験も本当に正しいかどうか分からないという、焼け石にwaterなところもある(笑)

僕はその、TCGの運が絡んでくるファジーな所も大好きです。
なぜならそれは、運によっても大きく左右される、「現実」や「人生」と同じだから。

そうした中で、皆さんと一緒に積み上げてきたノウハウが、僕の作ったTCGが「評価」されたことで、日の目を見たと感じました。

大きな夢が叶いました。

それは一つの、僕の「実績」になりましたが、僕の尊敬するTCGデザイナーの方々は、たった一つではなく、いくつもの面白いTCGを生み出しています。

僕にそれが可能なのかな?と考えるようになりました。

■「作りたいから」だけでは作らない。

僕の初のTCG作品は、僕自身、ずっとプレイしていたくなるほど面白いゲームでした。

他のTCGには、他のTCGとしての魅力があるし、面白い。
サッカーと野球のどっちが面白いか?という議論が不毛であるように、僕は自分の作ったTCGを「世界一だ」とは思いませんでしたが、「現時点で僕が作れる、最高のTCGだ」とは思っていました。

ですから、「また新しいTCGを作りたいな」と思っても、

「作りたいから作る、のではなく、以前作った作品を超える、あるいは、全く違う楽しさのあるルールが作れないなら、作るべきではない。」と考えました。

何しろ、世界的にも評価して頂けたのは、「池っち店長」なんて知らない方々からの、純粋な「ゲームとしての面白さの部分」です。

個人の活動ではなく、多くの人も巻き込む「仕事」ですから、事業としても成り立たなければなりませんし、自己中心的に「作りたいから作る」ではなく、

「めっちゃくちゃ面白い、新しいルールができたぞ!」

と言えるようになって初めて、チャレンジできることだ、と心に決めていました。

お店やトークライブ、イベント会場等、多くのTCGユーザーと交流し、TCGアニメを見たりして学んだこと、それらを凝縮したのが最初に作ったTCGでした。

そしてそれは評価して頂けた。

ならば次は、評価して下さった方々に背中を押される気持ちで、もっともっと思い切って、自由闊達に、常識破りな(しかし本質的な)TCGを作ることができないか……

それこそが僕の「作りたい」TCGであり、共に歩んできたカードゲームユーザーの皆さんが、「プレイしたいと思っているTCG」なのではないか。

作りたいという利己的欲求。
このルールなら世界中のTCGファンに喜んでもらえる!という利他的な喜び。

ある日、天から降りてきた、
「いろんなルール同士で戦えると凄いじゃん」
「手札なんて、実は無くてもいいじゃん」
という2つの発想。

これらと、そして(大事なことですが)事業として、商売として成り立つ枠組みが出来上がったことが合わさって、ゲートルーラーが生まれました。

ここで当コラムの結論を言ってしまいます。

なぜゲートルーラーを作ったか。

「事業として、採算がとれるという予測と、組織の枠組みができた」

「一度作ったTCGを評価して頂いた事で、自分にはTCGを作れる、という実績があり、また、作りたいという気持ちがあった」

「TCGユーザーにきっと楽しんでもらえる、流通様にもきっと新しい商材として喜んで頂ける、と心から自信を持って言える、新しいゲームを作ることができた」

この3つの柱が揃った時、僕はゲートルーラーを作ることにしたのでした。

■これならきっと、めっちゃ楽しんでもらえる!

ある日、天から降りてきた、
「いろんなルール同士で戦えると凄いじゃん」
「手札なんて、実は無くてもいいじゃん」
という2つの発想。(くりかえし)

この2つの「新しさ」を主軸に作られたゲートルーラーのルールとカードプールは、めちゃくちゃエキサイティングなゲーム体験を約束してくれます。

手札がなく、めくったカードでのみ戦う「アプレンティス」「バーサーカー」などのドライブルーラーは、一見ただの運ゲーでありながら選択肢もあり、
「選択肢が少ないからこそプレイに集中でき、結論もすぐに出せるので速度感がパない!」
ですし、一回一回のドライブが重要すぎて、毎ターン開始時のドライブに、鼻血が出そうなぐらい興奮します。

手札とエナジーを使うルーラーは、「普通のTCG」として安心できるプレイ感覚を齎しますが、ダメージチェックとカウンターのランダム性に、「いい感じに振り回される」ので、普通のTCG以上に全てが予想通りに行かないのが最高。

TCGプレイヤーは「再現性」にこそ強さを見出しますし、事実、ゲートルーラーでも再現性の高いデッキは勝率も安定して強いのですが、そういった「理想のちゃぶ台」を作っても、やっぱりちゃぶ台はちゃぶ台。まるごとひっくり返されるランダム性が魔を生み出します。(ちゃぶ台はひっくり返されるための道具ではありませんが)

そうしたランダム性を「プレイング」という力づくで押さえつける部分で、「自分が試されている」と感じます。


そして、ドライブルーラーとドロールーラーによる「ゲートルーラーの常識」が形つくられた上で出現した、コストを無視した「オーバーロード」の豪快さと、デッキ構築の繊細さ。

相手ターンにイベントが使えず、守りを捨ててパワフリャーに全力ブッ込んでいるように見えて、実は相手ターンに出せるユニットで守れるので、今まで使われなかったカードプールが生きてくる「カードプールの味変」の如きゲーム性の拡大。

そして手札ルーラーの中でも「ウィザード」は、最もネガティブに動けて再現性も高そうなのに、「整う」までにSATSUGAIされる可能性マキシマムな低ヒットポイントで、「遅いデッキ同士だと強いが、爆発力のあるデッキには即死する」という絶妙な塩加減。

因みに、個人的にガチデッキを組むならウィザードと決めてます。
「外道カウンター」の血が騒ぐのです。
(あ、ゲートルーラー版外道ビートもありますよ。)

面白い!作っている僕自身が、マジでこのゲームを楽しんでいる。

そして、たまにユーザー様とプレイすると、誰もがこのTCGを、本当に楽しんでくださっていることが伝わってくる。

僕がなぜゲートルーラーを作ったか。
少なくとも3つの柱のうち、2つの柱は満たされた、と思っています。

■夢は続いている。

ゲートルーラー第1弾は、正に爆発的な売れ行きを見せました。

「楽しいゲーム」「面白くて画期的なTCG」という評価は、確実に頂けたと思います。

しかし、その後の炎上や、訴訟等を鑑みた流通様の取り扱い手控え等も重なり、ゲートルーラーの勢いは急速にしぼみました。

「ゲートルーラーをお店で遊んでいると、『池っち店長信者かよ』と絡まれ、馬鹿にされ、風評的に遊びにくい。」という点も、無視できない失速要因の一つでした。

身を守るため、「池っち店長なんて嫌いだよ」と同調せざるを得なかった人も沢山いると思います。

ゲートルーラーは、その、「ゲームとして面白いか面白くないか」という純粋な部分以外の、TCGという、対戦相手と環境を必要とするコミュニケーションゲームであるがゆえの弱点により、ユーザーの多くを手放してしまいました。

純粋に、面白いTCGを作れば、皆さんが喜んでくださるはず。

その考え方は、単純過ぎました。

日本では、残念ながらその考え方は通用しない。

メーカーとして、「安心してプレイできる環境」を作れなかった僕達に責任があります。

だからこそ、個人やお店で、「安心してプレイできる環境」を作ってくださっているサークル主様や一部の店舗様には、とても感謝しています。
ゲートルーラーの灯火は、そこに息づいています。

少なくとも日本では、「TCGとしての面白さ」だけで評価して頂ける市場は小さい。「安心」が必要なのでした。

ですからゲートルーラーは、海外では様子が違ってきます。

個人主義的で、同調圧力が小さい国では、
「ゲートルーラーはちゃんと面白いから、やる!」
という方々によって支えられています。

これから中国でも発売されますが、ここで、「日本の炎上は関係ない。ゲームとして面白いなら、やる!」という風に評価して頂けたなら、きっと受け入れて頂けるでしょう。

そうして事業として、収益が確保できて生き延びられる限り、日本でも続いていくことでしょう。

僕はゲートルーラーを発表した時、「最後まで僕が作る」と明言しました。
それは、ゲームデザイナーとしての池田を、「面白いTCGを作る人間だ」と信用してゲームを始めて下さる方々への誓いでした。

にもかかわらず、「池田が居ないほうが良い」という一部の意見に流されて、一時的にしろ現場を離れることになったのは、痛恨の極みです。(自分から離れたのではなく、「追い出された」のと病気療養の為でしたが。)

少しお待たせはしてしまいましたが、約束を果たすために、僕は力尽くで帰ってきました。

「事業として成り立つこと」と、「作りたい」という僕の想い。

そして、「面白い!」と喜んで下さるユーザーの皆さん。

この3つの柱がある限り、僕はゲートルーラーを作り続けていきます。

長文にも関わらず、ここまで読んで頂き、有難うございました。

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